木村康会長インタビュー

様々な業界で活躍されている熊大附属中学出身OBOGをご紹介していくコーナーです!
第二回目は、熊大附属中東京同窓会の木村康会長(S38卒)です!

現在、経団連副会長、石油連盟会長、JXホールディングス会長を務められています。日本のリーダーとしてご活躍の木村会長に、附中東京同窓会Webサイトのためだからこそお話しくださった、経営者としてのお話、附中時代から現在に至るまでのプライベートも含めた貴重なお話をお届けします。

木村 康(きむらやすし) 

1948(S23)年 熊本市生まれ(一新小学校、熊本大学付属中学校、熊本高校で学ぶ)
1970(S45)年 慶應義塾大学経済学部卒業、日本石油(株)入社
2002(H14)年 日本石油(株) 取締役九州支店長
2005(H17)年 取締役執行役員 潤滑油事業本部副本部長
2007(H19)年 常務取締役 エネルギー・ソリューション本部長
2010(H22)年 JX日鉱日石エネルギー(株) 代表取締役社長
2012(H24)年 JXホールディングス(株)代表取締役会長/JX日鉱日石エネルギー(株) 代表取締役会長/石油連盟 会長
2014(H26)年 日本経済団体連合会 副会長(環境安全委員長、中東・北アフリカ地域委員長)

石油業界に入られたきっかけは何ですか?
木村日本石油に入社したのは1970年。大阪万博が開かれ、ちょうど世の中の大きな変わり目だったときです。エネルギー産業は社会の基盤だから、安定的な供給が必要だし、車社会がどんどん進展している状況のなかで、将来性もあり、活気のある業界になるだろうという魅力も感じられたからですね。

今もエネルギーの転換点という意味で注目されていますよね。
木村そうですね。入社してすぐの1973年に第一次オイルショックがあり、いきなり劇変、激動があって……。実は、そういう状況はずっと続いてきたんです。この前の大震災のときも、改めて石油の重要さを理解してもらったと思うけれども、ふだんは空気みたいに、あって当たり前みたいに思われるのですよね。でも、当たり前のことを継続させていくのが、基盤の産業の役割。まあ、ときどきは石油の大事さを思い起こしてもらいたいですけどね。

長年リーダー、経営者としてご自分の中で意識されていること、信条は何ですか?
木村組織の中では、個人もしくは一つの単位がまず強くならなくちゃいけないと思います。「個」の確立というかね、自分をしっかりもつのがまず大切。その上で、集団の中、組織の中でそれをどう活かしていくかということです。そのために、まず「個」と「組織」を頭の中で明確に整理整頓して、自分自身が強くなるために努力していくのが必要じゃないかと思っています。

そのような信条は、附中で学んできた過程で何か役立っているものがありますか。
木村いろんな人と接触する中で、僕自身が形成されてきたと思うんだけど、やっぱり学生時代に受けた影響は、それぞれ大きいと思います。そしてその始まりは中学のときじゃないかな。一新小学校のころは隣近所の友達しかいなかったのが、中学から附属に入ったので、少し枠が広がるわけです。附属中学は学校の先生の子供だとか、転勤族の子供だとか比較的バラエティに富んでいて、「あ、こういう人もいるのか」と、少しずつ視野が広がる。高校に行ったらまた広がるし、特に大学から東京に来たので、「あ、またこんな世界があるのか」というふうに、一つ一つ広がっていくと同時に、なんでこんな狭い所に自分はいたのかと気づかされる。外を見る最初のきっかけが、中学のときだったんじゃないかなあと思いますね。

附属中学に行こうと思ったきっかけというのは?
木村6歳上の兄貴が一新小学校から附属中学校に行っていたので同じ流れで行きました。僕は兄貴と小中高大学と皆一緒なのですよ。

クラブ活動は何をされていましたか?
木村えーとね、してない!

そうすると、普段お友達と放課後はどのように過ごされていましたか?
木村放課後はね~、何してたかなぁ。うちは新町だったから……友達の家に行ったりとかね、帰りあそこの坂を下りながらそこで柿を食ったり、タケノコ掘ってみたりとかね。帰りに軒の下というか、生垣みたいなところに野イチゴがあったり。ぷらぷらしながら上熊本から電車で帰っていたかな。

そのころはすでにコーラスは強かったのですか?
木村僕の担任は渡辺至さんだったから、クラスは三年間強かったね〜。僕は音痴だから大変だったよ(笑)。入学試験で音楽の実技があるでしょ? いいところのお嬢ちゃんなんかはピアノを弾いたりしてね。僕は楽器は何もできないから歌うしかないのだけれど、音痴だから。試験に受かったのは、歌えないのがどれくらい成長するのか、教育学部の附属中学としては教材として面白いと思ったんじゃない?(笑)。他のクラスメートはコーラス部に入部したり、皆、結構音楽の才能は高いんだよね。そういう中で音痴だったから、合唱コンクールのときなんかは「歌うんじゃないよ、口パクだよ」って言われて(笑)。でも、最後の通知表には「少し歌えるようになりました」って書いてあったよ(笑)。

会長のころも文化祭は合唱コンクールだったのですか?
木村そうでしたよ。コーラス部は全国大会なんかもよく出ていたでしょ。だから周りが歌のうまい人ばかりで大変。朝と帰るときに必ず歌っていたもんね。毎日誰かが前に出て、輪唱で「♪さようなら〜」って。あのころはクラス替えがなかったから、三年間ずっと大変だったよ。

渡辺先生は中学の中では一番印象に残る先生でしたか?
木村そうね、プラスマイナス含めてね(笑)。あと印象に残っているのは、副担任だった国語の規久川先生と英語の荘口先生。アナウンサーの荘口さんの叔父さんかな?

今でも学年で同窓会はされるのですか?
木村東京では年に2~3回やっているね~。熊本では今でも毎月集まっているんじゃないかな。帰るときに声をかけると、その日に5人から10人くらい来るんだよね。

文藝春秋で熊本高校同期の「同級生交歓」がありましたが附属中の方も?
木村7人中4人が附属中でも同級生。八重野、松永、岳中と僕。中学時代の僕は、ほかの3人に比べるとまあおとなしくて(笑)。

中学時代の夢って何でしたか?
木村僕はあまり夢見ないからね~。実家が海産物の問屋として商売をしていたんですよ。だから、大学くらいは東京に行って、ちょっと遊んで田舎に帰って、兄貴と商売でもやろうかなと、非常に安易な生活を考えていました。

現在までのトップにいかれるストーリーが素晴らしいなと。今振り返られて人生の節目ってありましたか?
木村いちばん大きいのは、日本石油に入ったことでしょうね。その中でいろんな人と仕事をして、いろんなことを教えてもらったのが大きいと思うし、人と人の繋がり、広がりに興味をもちました。こういう人がいて、こういう仕事をするのかと、いろんなことを考えているうちに、楽しくなってきたんですね。

座右の銘はありますか?
木村「和して同ぜず」。自分をしっかりもつということ。特に最近は、仲良くしているように見えるけど仲良くないっていうのが多い。非常に付き合いはいいけど、本当には付き合ってないというような人間関係。ですから、人に流されず、自分をきちんともつことで、人に魅力を感じさせることが必要じゃないかなあと思います。「和して同ぜず」を肝に銘じて、そういう生き方をしたいと思っています。

今までの会社生活の中もそういう感じでお仕事されてきたのですか?
木村そうですね。言葉をかえると「肥後もっこす」みたいなことかな(笑)。頑固だとも言えるんだけどね(笑)。信念を持った頑固さみたいな。熊本の血が流れているんだなとは、ときどき思いますね。わがままなところもあるけどね。会社に入っても組織や人に流されずに、言うべきことは言って、主張することは主張していくということは大切だと思います。

苦しかった瞬間や苦労されたことはどうやって乗り越えてこられたのですか?
木村苦しいことは忘れちゃいます(笑)。楽天的なんです。良いことしか記憶に残らないように、苦労を苦労と思わない。鈍感なのかもしれない(笑)。考えて解決するんだったら一所懸命考えて悩むけど。物事の整理の仕方というか、頭の整理というのは生活していく上で大切でしょうね。物事をクリアに整理して、「これはしょうがないこと」「これは悩めばどうにかなる」とか。そうすると楽になると思います。何に悩んでいるかわからない人がいっぱいいますよね(笑)。そういうときは行動すればいい。「迷ったときはやれ」って僕は言います。要するに、やって間違えたときの後悔よりも、やらなかったときの後悔のほうが大きい。だから「迷ったときはGo」。人間は「行動」が事実であって、「思っていました」って言ったって、「本当か」でおしまいだから。例えば会議の後で「あのとき言えば良かった」というのはいっぱいあります。だけど、終わった後に「実は僕もそう思っていました」なんて言っても、意味がないどころか馬鹿にされちゃう。「思ったことは言え」、「言ったことはやれ」、「やったことに関しては責任を持て」。こういう順番でしっかりやっていくべきだと思います。

迷ったらGoでアクションを起こされるときに、どうにもならないことやストレスになることもあると思いますが、そういうときにプライベートで発散するものはありますか?
木村僕はだいたい寝ちゃう(笑)。それから、「菜根譚」という本をいつも枕元に置いていて、何か嫌なこととかあったときに、それをちょっと見ることにしています。人生論や生き方論だとかが1ページくらいで書いてあるので、開いてみると気持ちが穏やかになる。皆さんも座右の書として置いておくと心穏やかになると思いますよ。

健康の秘訣って何かありますか?
木村快食快眠。23時から6時が必須の睡眠時間ですね。食べ物は食べすぎる傾向があるけど、食べて、酒は赤ワイン飲んで、ぐっすり寝る。だから太っちゃうんだけど(笑)。あとはゴルフを土日どちらかやっています。健康診断は、かかりつけの病院で年に一回チェックするのと正式な人間ドックと2つですね。

東京同窓会についてですが毎年出席されていますか? 魅力って何でしょうか?
木村同窓会の魅力は縦横の繋がりですかね。若い人といろいろ話ができるということ。それと、やっぱり懐かしさです。この年になってくると、そういう部分だと思います。同窓会に行って若い人を見て、人間関係をいろんなことで作りながら自分の次の仕事とかに繋ぐというようなことも、前向きな話としてはいいと思うんだけども、やっぱり昔を懐かしむっていうのが基本だね。これを糧に自分がプラスになるとか、得をするとかいう部分じゃない世界、功利的とか私利私欲じゃなくて、懐かしみながらほっとする時間を過ごすっていうのが同窓会の基本だと思うし、あの時代一緒だったとか、あの場所を共有した人が時代は違ってもあそこのグランドにいたとか、そういうことを思い起こしながら過ごすというのが同窓会の基本かなという感じがします。 あとは、前向きな話をすると、自分がそこで少し役立つような話をできるかどうかというところ。僕の経験を踏まえた話を吸収してもらって、少しでも人生のプラスになるようなことを考えてくれればありがたいね。会社も同じで、伝えるっていう部分が大事。会社の社風もすべて引き継がれるよね。僕も会社の中でいろいろ話すけれども、半分以上は先輩から伝えられたことを自分の言葉にして言っているということだと思うし、それは同窓会も同じだと思います。

東京同窓会に参加されているOBOGへの一言と、これから社会に向かって頑張っていく学生や現役の附中生に一言お願いします。
木村小さい殻にはまって欲しくない。世の中は広い、違う人がいっぱいいる、違う世界がたくさんある。そういうのを見て、認め合って欲しいです。僕の場合、新町があって、中学があって、高校があって、大学があって、日本があって、アメリカがあって、中東がある。こういう広がりっていうのを見て欲しいと思いますね。最近の若い人は特に殻に閉じこもる傾向があるってよく言われますよね。外に行きたがらない。例えば熊本でずっと生活すると、意外に楽で楽しいかもしれないけど、それだと生まれた甲斐がないというかね。新鮮なところを見て、刺激をもらうことによって、自分が大きくなるというのが必要じゃないかなと思います。その延長線上で、人と接するときに何が肝心かというと、等身大で接するということ。人間って意外にずるいというか、自分よりもちょっと良く見てもらおうという欲がある。でも、等身より大きく見られても意味がないんだよね。自分で大きくする努力をする必要はあるけれども、等身大でいいと思うと楽になるんだよね。僕もこのことに気付いたのは40代のころかな。僕をその通りに見てくれればいいと、馬鹿だといわれても何といわれてもいいと。もう少し言うと、等身大に自信が持てるようにならないといけない。人から良く見てもらおうじゃなくて、その通りを見てもらおうと思えるようになると非常に楽になるし、そうなると、ますますいい回転になる可能性もあります。

友人から見た木村会長 八重野充弘(熊大附中東京同窓会副会長)
八重野木村君が日本を代表する大企業のトップの座に就くなんて、考えもしませんでした。抜きん出て勉強ができたわけでもないし、中学でも高校でもあまり目立たなかったから。でも、重職に就いたことを知ったときには、なるほどと腑に落ちましたね。小さい会社だったら、どんどん人を引っ張っていく、いわばワンマン的なリーダーがいいのかもしれないけれど、巨大な会社だからこそ、彼は適任だと思いますね。人当たりがよく、気配りができて、あまり出しゃばらず、誰からも慕われる性格。そういった人間的な資質が第一でしょう。仕事でキャリアを積めば、誰だって企業人としての能力は磨かれるわけだから。熊高の同期生でちょくちょくJXの会長室に押しかけていくのですが、「オイ、ヤスシ」なんて呼びかける僕らを、秘書の方はなんと思っているでしょうね(笑)。

公開日:2015.10.24

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